大阪地方裁判所 昭和63年(わ)608号 判決 1990年2月15日
主文
被告人を懲役三年六月及び罰金五〇万円に処する。
未決勾留日数中六〇〇日を右懲役刑に算入する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
押収してあるチャック付ビニール袋入り覚せい剤白色結晶一袋(昭和六三年押第一二二号の7)を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 昭和六一年一〇月九日、Aらを同乗させて同人所有の普通貨物自動車を運転中、東大阪市内の路上でB(当時四〇歳)運転の大型貨物自動車が被告人運転の右車両と接触したことから、右Aと共謀の上、同月一一日午後六時三〇分ころ、大阪市平野区<住所略>〇〇三階三〇一号の右A方において、右Bに対し、謝罪する態度が悪いなどと因縁をつけ、右Aにおいて頭部を手拳やガラス製灰皿で殴打し、胸部を足蹴にし、被告人において頭部を手拳で殴打し、腹部を足蹴にするなどの暴行を加え、よって、右Bに加療約一〇日間を要する頭部打撲等の傷害を負わせ
第二 いずれも、法定の除外事由がないのに、営利の目的で、
一 昭和六二年七月一三日ころ、大阪市此花区<住所略>××そば店前路上に停車中の普通乗用自動車内において、Cに対し、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶約1.5グラムを代金八〇〇〇円で譲り渡し
二 同年八月七日ころ、右同所に停車中の普通乗用自動車内において、Dに対し、前同様の覚せい剤結晶約五グラムを代金三万円で譲り渡し
三 同月二〇日ころ、大阪市福島区<住所略>先駐車場に停車中の普通乗用自動車内において、前記Cに対し、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約一グラムを代金八〇〇〇円で譲り渡し
第三 法定の除外事由がないのに、営利の目的で、Eと共謀の上、同年一二月二六日午後二時三〇分ころ、大阪市西区<住所略>第二ビルディング六二六号室の当時の被告人方において、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶約73.6グラムを所持し
第四 法定の除外事由がないのに、同日午後二時四五分ころ、大阪市浪速区湊町二丁目二番JR湊町貨物駅西側路上に駐車中の普通乗用自動車内において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約0.3グラムを水に溶かし、自己の身体に注射して使用し
第五 法定の除外事由がないのに、同日午後三時二二分ころ、大阪市浪速区難波中三丁目一番一五号先路上において、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶4.8グラム(<証拠>)、回転弾倉式けん銃一丁(<証拠>)及び火薬類であるけん銃用実包二五発(<証拠>)を所持し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(補足説明)
弁護人は、判示第二の一ないし三及び第三の各事実(昭和六三年九月六日付け起訴状の各公訴事実)について被告人は無罪であると主張し、被告人も捜査及び公判を通じ一貫して右各事実は身に覚えがないことであると弁解するので、当裁判所が右各事実を認定した理由を補足して説明する。
第一 判示第二の一ないし三の各事実について
一 関係各証拠によれば、
① 大阪府生野警察署員が、昭和六二年七月一八日午前四時ころ大阪市生野区<住所略>路上に放置された盗難乗用車を発見領置した上、同月二〇日同車内からビニール袋入り白色結晶一袋等遺留品を領置したところ、右結晶からフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩が検出され、その重量が0.18グラムであったこと(判示第二の一の関係)
② 同年九月八日窃盗容疑で大阪府生野警察署に逮捕されたD(以下、「D」という。)が、同日同署員に対し、その所持していたチャック付きビニール袋入り白色結晶一袋及び尿を任意提出したところ、右結晶からフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩が、右尿からフェニルメチルアミノプロパンが検出され、右結晶の重量が2.91グラムであったこと(判示第二の二の関係)
③ 同年八月二二日窃盗容疑で京都府桂警察署に逮捕され、次いで同月二四日大阪府福島警察署に逮捕されたCが、同日同署員に対し尿を任意提出したところ、その中からフェニルメチルアミノプロパンが検出されたこと(判示第二の三の関係)
は明らかである。
二 ところで、D及びCは、当公判廷において、証人として、要旨次のとおり供述している。
1 Dの供述要旨
① 私は、かねて、覚せい剤密売人のFから覚せい剤を購入して使用していたが、同人が昭和六二年六月ころ逮捕されてからは、同人の覚せい剤密売の手伝いをしていたCから覚せい剤を購入していた。Fは被告人から覚せい剤を仕入れていたと思う。私が逮捕された昭和六二年九月八日の約四か月前、Fを車に乗せて西九条へ行ったとき被告人と初めて会ったが、その際Fから被告人を「小林」として紹介された。
② 昭和六二年七月一八日の四、五日か一週間ほど前、京橋の喫茶店「KD」でCに覚せい剤を売ってくれと申し入れたが、同人に手持ちがなかったので、覚せい剤を入手するため、私運転の車にCを同乗させて大阪市此花区<住所略>のN駅前にあるうどん屋「SH」の付近へ行った。なお、車中で覚せい剤の代金として一万円をCに渡した。Cが同店の前にある公衆電話で被告人と連絡を取り、間もなく被告人が車に乗って現れたが、その車は青色のマツダのコスモかルーチェであった。Cが停車中の右自動車にいったん乗り込み、すぐに私の車に戻ったので、そのまま車を発進させ、車中でCからビニール袋入り約0.7グラムの覚せい剤一袋を受け取った。その後右覚せい剤を自己使用していたが、同月一八日自動販売機荒らしをしていた際、警察官に発見されて追跡を受けたため、乗っていた車をその場に放置したまま逃走した。その車が前記一①の車であり、また、その車中から発見された覚せい剤は右約0.7グラムの覚せい剤の使い残りである。(判示第二の一の関係)
③ 昭和六二年七月一八日から一週間位経ったころ、覚せい剤を入手するため、Cと二人で被告人のもとへ赴く途中、Cから覚せい剤の代金を先払いせよと言われ、私がこれを拒んだことからいさかいとなり、その場でけんか別れをした。そこで、私は、被告人から直接覚せい剤を購入しようと思い、すぐに被告人を捜してNの方へ出掛け、Nの駅前へ行く手前のガソリンスタンドの裏手で被告人に出会うことができたので、被告人から覚せい剤約二グラムを代金二万円で買い受けた。その際、被告人のポケットベルの番号を教えてもらい、これをメモ紙に書いておいた。その番号は今は忘れたが、ただ今示されたメモ紙コピーは私が押収されたメモ紙のコピーであり、そこに書かれている「ベル五五七―八九七五」という文字は私の筆跡であり、被告人から教えられたポケットベルの番号を記載したものである。
④ 昭和六二年八月七日ころ、被告人から覚せい剤を購入するため、右ポケットベルの番号を使って被告人と連絡を取った上、車で前記うどん屋「SH」の付近に出掛けた。間もなく被告人が前と同じ車に乗って現れたので、私が同車内に入って被告人と覚せい剤の取引をした。二グラムを二万円で買うつもりであったが、被告人から三万円だと五グラムにすると言われ、鼻紙に包まれた約五グラムのパケ入り覚せい剤一袋を三万円で買い受けた。その後、右覚せい剤で自己使用を続けていたところ、同年九月八日窃盗容疑で逮捕され、その際、所持していた覚せい剤を任意提出したが、それは右約五グラムの覚せい剤の使い残りである。また、同時に尿の任意提出もしたが、最後の覚せい剤を注射したのは逮捕前日の九月七日のことである。(判示第二の二の関係)
2 Cの供述要旨
① 私は、昭和六二年一、二月ころから覚せい剤の密売屋であるFから覚せい剤を購入しているうち、間もなく同人の密売の手伝いをするようになった。Fは被告人から覚せい剤を仕入れており、その関係で同年四、五月ころから被告人を知っている。Fが同年六月ころ逮捕され、以後私がFの顧客ルートを利用して自分で密売屋を始めたが、覚せい剤の仕入れは被告人からもしていた。Dは私の覚せい剤の客の一人であった。
② 昭和六二年七月一三日ころ、都島区片町の駅前のスナック「KD」でDと会い、同人から覚せい剤の注文を受けたが、手持ちがなかったので、Dの車に同乗し、同人から代金として受け取った一万円を持って、Nの駅前のうどん屋「SH」に行った。被告人のポケットベルに、同店の電話番号と私の符号番号を送信したところ、折り返し被告人から同店へ電話がかかってきたので、覚せい剤一つ(一グラムのこと)を注文した。間もなく被告人がグレーのマツダのルーチェに乗って現れ、同店の向側の路上に停車したので、Dを同人の車に待たせ、一人で被告人の車に乗り込み、被告人からティッシュにくるんだパケ入り覚せい剤一袋を八〇〇〇円で譲り受けた。右パケには、いつもより多くて約1.5グラムの覚せい剤が入っていたので、被告人の車の中でこれをほぼ等分にして二袋のパケに小分けした上、Dの車に戻り、右二パケのうち一パケだけをDに渡した。(判示第二の一の関係)
③ 同年八月二〇日ころ、覚せい剤を入手するため被告人に電話連絡したところ、野田六丁目の被告人が住んでいると聞いていたマンション裏の駐車場で取引をすることになり、車で同所へ赴くと、すぐに被告人が一人で歩いて現れたので、私の車の中で、被告人からティッシュペーパーにくるんだ約一グラムのパケ入り覚せい剤一パケを八〇〇〇円で譲り受けた。その後これを何回かに分けて使用し、同月二二日京都市内の便所で使用したのが最後の使用であるが、その間他の覚せい剤を使用したことはない。同日窃盗の容疑で京都府桂警察署に逮捕され、次いで同月二四日大阪府福島警察署に逮捕されたが、その際尿を任意提出した。(判示第二の三の関係)
④ なお、Dから覚せい剤の注文を受けた際、私が代金の先払いを求めたのに、Dが後払いを主張したため、同人といさかいになったことがある。
三 そこで、右両名の各供述の信用性について検討するのに、
① 右各供述は、いずれも詳細かつ具体的である上、その内容に格別不自然、不合理な点はなく、また、かなり細部にわたるまで相互にほぼ一致していること
② 右両名はいずれも、覚せい剤を購入するに当たり、被告人のポケットベルに送信して連絡を取った旨供述し、また、D供述によれば同人から押収されたメモ紙にその番号として「ベル五五七―八九七五」と記載されていることが認められるところ、この点は、「当時ポケットベルを使用しており、その番号が「五五七―八九七五」であった」旨の被告人の供述(<証拠>)によって裏付けられること
③ 右両名は、いずれも右各取引の前から被告人と面識があり、この点は被告人も認めているのであって(<証拠>)、他の人物を被告人と誤認混同する可能性はないと考えられること
④ 右両名にはことさら虚偽の供述をして被告人に罪を着せなければならない事情は認められないこと
などに徴すると、右両名の各供述は、十分信用できるものと言わなければならない。
被告人は、D及びCは、他の人物から覚せい剤を譲り受けたのに、これを被告人にすり替えて供述しているものであり、なお、Cについては、同人から、事故を起こして同人の自動車が故障したので、代わりの車を貸してくれと頼まれ、被告人の車を貸し与えたところ、その日のうちに又もや事故を起こし帰って来たので、同人を叱責したことがあり、また、Cが警察で身柄を拘束されていたとき、同人の弁護人から電話でCからの伝言として金員を差し入れてほしいと言ってきたのに対し、これを放置しておいたことがあるが、Cはこれらのことを根に持って、被告人を陥れる供述をしていると主張している。しかし、これを裏付ける証拠は皆無であるのみならず、D及びCは被告人の面前において、何らためらうことなく、明確に前記各供述をしているのであって、その供述の態度及び内容からは、ことさら虚偽の供述をしている節は全く窺えない。さらに、被告人自身右人物はおおよそ分かっているとしながら、その名前までは出したくないなどと言っているのであって、これらの諸点にかんがみ被告人の右主張は採用できない。
四 以上検討の結果によれば、D及びCの各供述にはいずれも信用性が認められ、右各供述に前掲の他の関係各証拠を総合すれば、営利目的の点も含め、判示第二の一ないし三の各事実は十分認定することができる。
第二 判示第三の事実について
一 関係各証拠によれば、
① 被告人は、昭和六二年一二月二六日判示第五の各事実により現行犯逮捕され、昭和六三年一月二六日、右各事実に関する捜索差押許可状に基づき右逮捕当時被告人の住居であった判示△△第二ビルディング六二六号室(以下、「六二六号室」という。)の捜索が行われ、奥七畳間にあったティッシュペーパーの空箱から覚せい剤様粉末の付着したビニール袋一枚(以下、「本件空パケ」という。)が発見押収され、鑑定の結果、本件空パケに付着の微量の白色結晶からフェニルメチルアミノプロパン塩酸塩が検出されたこと
② 右逮捕当時六二六号室で被告人と同棲していたEは、右捜索に際し注射筒、注射針等も発見押収され、また、同女の右腕に注射痕が認められたことから、同日大阪府浪速警察署警察官に求められて尿の任意提出をしたところ、その中からフェニルメチルアミノプロパンが検出されたこと
は明らかである。
二 ところで、Eは、当公判廷において、証人として、要旨次のとおり供述している。
「昭和六二年八月ころ、当時私が働いていたスナックで被告人と知り合い、同年一〇月初めからホテルOUで被告人と同棲を始めたが、同年一一月末ころ六二六号室に移って同棲を続けていた。被告人は「藤川」という通称名を使っていた。同棲中被告人は覚せい剤の密売の仕事をしており、私も覚せい剤の小分けなどをしてこれを手伝っていた。
昭和六二年一二月二五日、私の妹たちが六二六号室でクリスマスパーティーを開いていたが、私はこれには参加していなかった。同日の昼ころ、被告人がどこからか覚せい剤を仕入れて六二六号室に帰り、右覚せい剤と小分け道具を持って「コットンクラブへ行く。」と言って出掛けた。コットンクラブとはいわゆるラブホテルであり、被告人とはそれまでに何度も行ったことがある。同日午後二時ころ私が覚せい剤を注射したいと思ってコットンクラブへ行くと、同ホテル五〇六号室(以下、「五〇六号室」という。)に被告人がおり、テーブルの上にはビニール袋に入った約九五グラムの覚せい剤一袋と既に小分けされた約五グラムのビニール袋入り覚せい剤一袋が置かれていた。私はその約九五グラムの覚せい剤の中から一回注射した。被告人と午後七時ころから小分けをしようと話し合った。
同日午後四時ころ私が六二六号室に帰り、続いて被告人も同室に帰って来た。それからマガジンという分厚い漫画の本等を買って来て、二人で前記小分け済みの約五グラムの覚せい剤を右漫画本の真ん中をくりぬいて隠匿して包装した上、これを送るため、二人で宅配便業者の店へ行き、私が宛て先の住所、氏名を書くなど手続をして、業者に託したが、その送り先は忘れた。ただ今示された伝票のコピー(Eの証人尋問調書に添付のもの)の字は私の筆跡であり、この伝票はそのときのものである。同所で被告人といったん別れ、私は妹たちのため買い物をして六二六号室に帰ったところ、約束の午後七時に近かったので、急いで五〇六号室へ出向いた。同室には被告人がおり、二人でテレビゲームをしたりしていたが、被告人は同日午後一一時ころ一人で外出した。用件は言わなかったが、多分女の所へ行くのだろうと思った。それから、私は一人で天秤ばかりを使って右約九五グラムの覚せい剤を風袋込みで五グラムずつにするつもりで小分けしてビニール袋に入れたところ、約五グラムのもの(第二一回公判では、覚せい剤の正味重量は風袋を引いて約4.6グラムであると述べていたが、第二一回公判では、天秤ばかりの片方にビニール袋と重りを乗せ、片方にビニール袋に入れた覚せい剤を乗せて量ったので、覚せい剤の正味重量は約五グラムであったと供述を変更。)一八個ができ、ほかに約2.5グラムが残った。小分けに使ったビニール袋は被告人が小分け用に持ってきたチャック付きのもので、約五グラム入りの一八袋はチャックの下にポリシーラーを用いて封をした上、その場にあった被告人のポーチに入れ、端数の約2.5グラムの覚せい剤も同じビニール袋に入れたが、これは自分たち(私と被告人)が使用するつもりで、ポリシーラーによる封はしなかった。翌二六日午前一時か二時ころ、被告人が五〇六号室に戻り、ポーチの中から小分けした約五グラム入り覚せい剤二袋を取り出し、これを持って「また帰って来る。」と言ってどこかへ出掛けたが、私はそれを売りに行くのだろうと思った。
その後、私は家出していた妹(クリスマスパーティーをしていた妹とは別の妹)を探すために五〇六号室を出た。妹が彼氏のアパートにいたので、彼氏と一緒に私の実家に連れ帰り、被告人に妹らを説教してもらおうと思って五〇六号室に電話をしたところ、被告人が戻っていたので、明け方ころ母や妹らを伴って五〇六号室に行き、被告人から妹とその彼氏に対し説教をしてもらった。同日午前八時ころ、母や妹らが帰り、私も間もなく被告人一人を五〇六号室に残して六二六号室へ帰った。
私が六二六号室にいたところ、同日午後二時半ころ、被告人が同室に帰って来て、玄関で前記のポーチを私に預け、すぐにまた出掛けて行った。私が右ポーチの中を確認したところ、前記の小分けした約五グラムのビニール袋入り覚せい剤一六袋が在中していたので、これを奥の部屋の被告人専用の三段ボックスの中に保管した。
同日午後一〇時ころ、覚せい剤の密売屋をしていたGが六二六号室に来て、右一六袋の中から二袋を持って行った。代金は一袋分だけを払ったが、後は明日払うと言った。翌二七日朝再びGが六二六号室に来て、前日の一袋分の未払代金を払い、更に代金を払わないで二袋を持って行ったので、残りは一二袋となった。同日夜八時ころ、Gが六二六号室へ二袋分の未払代金を持って来た。その際、被告人が何の連絡もしないまま帰宅しなかったことから、逮捕されているかもしれず、そうなれば六二六号室も捜索を受けるかもしれないと不安を抱いていたので、どこかに隠匿してもらうつもりで、Gに対し、天秤ばかりやポリシーラー等の小分け道具とともに右一二袋の覚せい剤をポーチごと預けてその処分を委ねた。
前記の約2.5グラムの覚せい剤はずっと私が持っていた。昭和六二年一二月二九日被告人が逮捕されたことを知り、捜索があると分かっていたので、二週間ほど覚せい剤の使用を控えていたが、その後は多少の不安はあったが、右約2.5グラムのビニール袋入り覚せい剤から自己使用を続け、覚せい剤の残量が少なくなるとビニール袋を小さくして、その口を割り箸で挟み、ライターで焼いて封をしていたものである。四、五回ほど右のように小さくしてライターで封をしたが、そのようにしたのは、量が少なくなると取りにくいし、また、封をしないと覚せい剤が湿るからである。昭和六三年一月二三日六二六号室で覚せい剤を使用したのが最後であり、このときに右約2.5グラムの覚せい剤を使い終わった。その際、右覚せい剤が入っていた空になったビニール袋と血を拭いたちり紙と注射針を、ごみ箱代わりにしていたティッシュの空箱に捨てた。右ビニール袋の上部左半分位は、私が歯でちぎったものである。なお、被告人が逮捕された以後他から覚せい剤を入手したことはない。
同月二六日六二六号室の捜索を受けたが、その際ティッシュの空き箱から発見されたビニール袋は、右空パケであり、また、同日私も浪速警察署へ行って尿を提出した。」
三 そこで、Eの右供述の信用性について検討するに、
① 第一二回公判調書中の証人Eの証人尋問調書末尾添付の「伝票」写しには、一二月二五日、品名を「本」として、持込により、依頼主藤川和代(「藤川」が被告人の異名であることは被告人も認めるところである。)から愛媛県宇和島市丸の内<住所略>時計店内Zあて配送依頼があって、これを受付けた旨の記載があり(後藤文雄証言<第二三回公判>によれば、右伝票写しは、警察官が宅急便取次業者から同店の控伝票の提出を受け、これをコピーしたものであることが認められる。)、また、司法巡査作成の「被疑者甲にかかる覚せい剤取締法違反事件の証拠品の謄本作成について」と題する書面(137)及びE供述によれば、昭和六二年一月二六日の六二六号室に対する前記捜索の際、家計簿等も押収され、同書面はそれらの謄本を作成して添付したものであること及び右家計簿はEが記載していたものであることが認められるところ、同書面添付の「おしゃれな家計簿」の末葉に、
一二月二六日の事・全部一六個・残一二個・後の残りの分は? 私が持っておくのが怖いのでGさんに頼んで処分してもらいました。(二七日)その分のお金はまだです。
一六個有って昨日(二五)分五万円を持って来た時に二個を持って行くと言って一個分(二万円)を払って行きました。計七〇、〇〇〇・(二六日)AM一〇:〇〇に昨日の残りの一個分を持って来ました。(二万)その時に又二個分持って行きました。夜八時頃にその分をつけに来ました。」
などと読める記載があるところ(なお、Eの供述によれば、右記載には日にちに書き間違いがあり、一日ずれている部分があるというのである。)、E供述の重要部分は、これら客観的証拠とよく符合していると認められること
② Gの検察官に対する供述調書(173)には、「私は昭和六二年一〇月ころから、被告人の覚せい剤の密売を手伝い、被告人の指示で注文先の客に覚せい剤を届けるなどのことをしていた。同年一二月二七日ころ、此花の知人に頼まれて二回にわたり約五グラム入り覚せい剤各二袋をEから受け取り、これを右知人に売り渡した。また、同月二九日ころと思うが、Eから△△第二ビルのマンションで、「家にあったらヤバイからかわして」と言われ、ポーチに入った五グラム入り覚せい剤一二袋を預かった。また、そのとき秤一台、ポリシーダー一台、ポリ袋、手袋などの小分け道具やアドレス帳、預金通帳、鍵束等も一緒に預かった。こうして預かった覚せい剤は、自分で注射したり、I、沖田某その他名前を知らない男達に二袋、三袋とさばき、昭和六三年一月初めころには全部なくなってしまった。また、預かった小分け道具等のうち、秤はIに渡しておいた。ポリシーダーは当時の自宅に持ち帰ったが、そのうちどこかにいってしまった。預金通帳、鍵などは、Iに渡したかどこかへ捨ててしまったと思う。」旨Eの供述に符合する供述記載があり、また、Iは、当公判廷において、証人として、「Gとは、昭和六二年一〇月中ころから付き合いを始め、同人が私宅へ来たことがしばしばあるが、その間、同人は私宅で覚せい剤を注射したり、私にも覚せい剤をくれたりしたことがある。昭和六三年一月中ころGから紙袋を預かり、同年二月四日ころ中を確認したところ、天秤ばかり二台、小さなビニール袋がたくさん入ったビニールや衣類等が入っていた。秤のうち一台はその日に家の近くの路地に捨て、その後知人の満永方に数日泊めてもらったが、同人方を出るときに、残りの秤やビニール袋は同人方の玄関の靴箱の中に黙って置いて来た。」旨Gの右供述記載に符合する供述をしており、更にこれらの供述を裏付ける両皿天秤式計量器一式(<証拠>)及びチャック付ポリ袋(<証拠>)が満永方で発見され、これを右Iが任意提出し領置されていること(<証拠>)
③ Eは前記一②のとおり昭和六三年一月二六日に任意提出した尿から覚せい剤が検出されたことから、同年二月一日覚せい剤の自己使用の被疑事実により逮捕されたものであるが、同人を取り調べた警察官後藤文雄の証言(第二三回公判)によれば、Eは右逮捕当初被告人から覚せい剤を貰って注射していたという趣旨の供述はしていたものの、被告人の覚せい剤の密売に関与していたことは否定していたところ、同月四日ころから被告人とともに本件覚せい剤の小分けを行ったことを話し始め、以後一貫してその状況等について詳細な供述をなしており、同月八日以降これに関する各供述調書が作成されたことが認められる上、Eは、当公判廷で二回にわたって証言をした際にも、小分けに当たっての覚せい剤の計量方法や五〇六号室を一時空室にした際の覚せい剤等の隠匿の状況など細部の点について曖昧な供述があるものの、被告人の指示により覚せい剤の小分けをし、そのうちの一六袋を被告人から預かったこと、小分けの際、約2.5グラムの覚せい剤を自己使用分として別に取り分け、昭和六三年一月二三日に使用したのはその最後の分であって、その使用後の空パケが押収された本件空パケであることなど判示第三の事実を裏付けるに足りる大筋の事実については、同女の供述は終始一貫しており、被告人の面前においても、いささかも揺らぐところがないこと
④ Eは、昭和六二年一〇月ころから被告人と同棲生活をしていたもので、被告人の逮捕後同女の心境を書き付けたものと認められる前記家計簿中の記載からも同女が被告人に好意を持ち、被告人逮捕後その身を案じていた様子が窺われ、ことさら被告人に不利益なしかも虚偽の供述をするとは考え難く、ことに、最後に自己使用したわずかの覚せい剤の入手経路として、事実に反してまで八〇グラム近い大量の覚せい剤の共同所持までを言い出さなければならない理由に乏しいこと
⑤ Eは、前記約2.5グラム入りのビニール袋を、ライターの火で焼いて封をしながら、順次小さくしていったと供述しているところ、本件空パケの下辺の長さは約五センチメートルであって(<証拠>)、Iが任意提出したチャック付ポリ小袋(<証拠>)及び被告人が逮捕時に押収された覚せい剤在中のビニール袋(<証拠>)の下辺の長さとほぼ一致していることに徴し、また、右各ビニール袋と本件空パケを撮影した写真(<証拠>)とを照合すれば、本件空パケがもともと右各ビニール袋とほぼ同形状のものであったと考えても矛盾しないのであるから、本件空パケが昭和六二年一二月二五日にEが小分けした約五グラム入り一八袋入りのビニール袋と同種のものであると推認しても不都合でないこと
が認められ、右の諸点に鑑みると、Eの供述は信用して差し支えがないものというべきである。
もっとも、前記三②の点について、Gは、当公判廷においては、Eからポリシーラーやビニール袋等小分け用の道具や材料を預かり、これをIに預けたことは認めているが、二回にわたり約五グラム入りの覚せい剤各二袋を受け取ったこと及びポーチに入った約五グラム入り覚せい剤一二袋を預かったことはこれを否定する証言をしている。
しかしながら、G自ら当公判廷において、同人が証人として出廷するに当たり検察官から事前に事情聴取を受けた際、「Eから覚せい剤を預かったことを述べれば街を歩けなくなる。」「法廷でしゃべるのは勘弁して欲しい。」などと検察官に話したことを認めており、また、捜査段階でこれを認める供述をした理由として、捜査官からGの妻であったJが被告人と情交関係があったと言われ、激高の余りEの供述に合わせてそのような供述をしたなどと唐突で不自然な弁解をしていることに徴し、また、E供述及び前記家計簿の記載に照らし、Gの証言中同人の検察官に対する供述調書に反する部分は極めて信用性に乏しく、到底採用できないものと言わなければならない。
四 なお、弁護人はE供述の信用性に関し種々主張しているので、そのうちの主要な点について、当裁判所の見解を付言する。
1 弁護人は、Eは、被告人が外出した後、家出した妹を探すため、五〇六号室を出たと供述するが、その空室にした間における覚せい剤及び小分け道具の処理に関する供述はきわめて曖昧である。覚せい剤収納のポーチを冷蔵庫の下に隠し、そのことを被告人に連絡するためメモ書きして残しておいたとも述べているが、冷蔵庫の下に入れることは物理的に不可能であり、ホテル従業員の出入り自由な部屋にメモを残すなど危険極まりないことであり、また、小分け道具については全く不鮮明であって、このことは、Eの供述が信用性に欠けることを端的に表している。また、Eは、一二月二六日早朝母や妹らを伴って五〇六号室へ赴き、被告人と対面させているが、その際、覚せい剤や小分け道具がどのように処理されていたかは、Eの供述からは全く窺い知ることができない旨を主張する。
なるほど、Eは右の点について、家出をしていた妹を探すために五〇六号室を出た際、「多分、約五グラムの覚せい剤一六個が入ったポーチを部屋の冷蔵庫の下に隠し、そのことをメモしておいたと思う。メモしたかどうかちょっと分からない。冷蔵庫の下に隠したかどうか、自信がない。はっきりとは言えない。置いたような気もするし…。小分け道具は紙袋に入れたが、それをどこに置いたか記憶がない。」などと曖昧な供述に終始していることは弁護人指摘のとおりである。しかしながら、冷蔵庫の下に覚せい剤の入ったポーチを隠すことが物理的に不可能であるかどうかの点はともかく、右供述によれば、Eは、五〇六号室を空室にした際、覚せい剤及び小分け道具等をどのように処理したかについては、結局のところ具体的には記憶していないと述べているものと認められるところ、コットンクラブはいわゆるラブホテルであって、五〇六号室は当時被告人とEが同伴で使用中の密室である上、それが深夜から未明にかけての時間帯であることからすれば、従業員と言えども勝手に入室する状況とは思われないし、また、Eは被告人が五〇六号室に戻って来るものと思っていたのであるから、空室にするとしても、その間の覚せい剤等の処理について、格別の配慮を払わず、そのままにしておいたとしても不思議ではなく、また、現にEが同日明け方、母や妹らを連れて行くため、五〇六号室に電話を入れたときには被告人が在室していたのであり、したがって、Eが母や妹らを伴って同室に到着する前に、被告人において覚せい剤等が見付からないように適宜処置したであろうことは、十分推測できるのである。
2 弁護人は、六二六号室から押収された本件空パケが被告人が逮捕時に所持していたビニール袋と同一であるとの証拠はなく、本件空パケは家裁に送致され、家裁で廃棄処分にされてしまっている旨主張する。
なるほど、本件空パケがEの覚せい剤自己使用の事犯で、浪速警察から検察官へ、更に昭和六三年二月一二日検察官から大阪家庭裁判所に事件とともに送致され、同年四月一三日同裁判所おいて廃棄処分にされたことは、弁護人指摘のとおりである。しかしながら、本件空パケの現物が存在しなくとも、その余の関係各証拠によって、本件空パケが、被告人から押収された覚せい剤入りのビニール袋及びIが任意提出したチャック付ポリ袋と形状において矛盾しないものと認められることは、前記説示のとおりである。
3 その他、弁護人は、
① Eは、小分けした覚せい剤の重量について、供述を変遷させており、また、右各供述のうち、風袋込みで五グラムであり、正味は4.6グラムであったとの供述は捜査官の誘導に基づく技巧的数値である。
② Eの供述からは、覚せい剤の小分け用道具が五〇六号室から六二六号室の同人の手元に渡った経緯が全く不明である。
③ Eは、被告人逮捕の二週間後から本件約2.5グラムの覚せい剤を使用し、一月二三日の使用で全部使い終わったと供述するが、右供述はEの一回の使用量に照らし整合性を欠く。
旨を主張し、また、宅配便の送り先に対する捜査がなされていないこと、六二六号室に対する捜索が遅れてなされたこと、E及びGが本件覚せい剤に関する事犯について問責されていないこと、被告人に対する取調べが別人の捜査へのアプローチという観点から行われたものであることなど捜査上の問題点を主張するが、既に検討の結果に照らせば、弁護人指摘の右諸点はいずれも、E供述の信用性に全体として影響を与える事情とは認められない。
五 以上に検討したとおり、E供述は大綱において信用性が認められ、同供述に前掲の他の関係各証拠を総合すれば、営利の点も含め、判示第三の事実は十分認定することができる。
(累犯前科)
被告人は、(1)昭和五五年一〇月二八日大阪簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年六月に処せられ、同五七年九月四日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した窃盗及び業務上過失傷害罪により同六〇年五月二一日大阪地方裁判所で懲役二年に処せられ、同六一年九月二二日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は右各裁判の判決書謄本及び検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の一ないし三の各所為はいずれも覚せい剤取締法四一条の二第二項、一項二号、一七条三項に、判示第三の所為は刑法六〇条、覚せい剤取締法四一条の二第二項、一項一号、一四条一項に、判示第四の所為は同法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第五の所為のうち覚せい剤を所持した点は同法四一条の二第一項一号、一四条一項に、回転弾倉式けん銃を所持した点は鉄砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項に、けん銃用実包を所持した点は火薬類取締法五九条二号、二一条にそれぞれ該当するところ、判示第五の各点は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として刑及び犯情の最も重い銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪について定めた懲役刑で処断することとし、判示第一の罪につき所定刑中懲役刑を、判示第二の一ないし三及び第三の各罪につき情状により所定刑中懲役刑と罰金刑の併科刑を選択し、判示第一及び第二の一ないし三の各罪は前記(1)、(2)の各前科との関係で三犯であるから、いずれも刑法五九条、五六条一項、五七条により、また判示第三ないし第五の各罪は前記(2)の前科との関係で再犯であるから、同法五六条一項、五七条により、判示第一、第四及び第五の各罪の刑並びに判示第二の一ないし三及び第三の各罪の懲役刑にそれぞれ累犯の加重(判示第二の一ないし三及び第三の各罪の懲役刑については同法一四条の制限に従う。)をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、罰金刑については同法四八条により判示第二の一ないし三及び第三の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役三年六月及び罰金五〇万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇〇日を右懲役刑に算入することとし、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、押収してあるチャック付ビニール袋入り覚せい剤白色結晶一袋(<証拠>)は、判示第五の罪に係る覚せい剤で犯人の所持するものであるから、覚せい剤取締法四一条の六本文によりこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官谷鐵雄 裁判官笹野明義 裁判官古城かおり)